功名に関する解説

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2007年 09月 12日 16時55分49秒最新情報

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[ 86] 「功名が辻」 : NHK大河ドラマ
[引用サイト]  http://www3.nhk.or.jp/drama/html_news_komyo.html

以下は放送開始前にご案内した過去の情報で、日付・予定などは現在のものではございません。
諸将が牽制し合い群雄割拠する戦国の世を統一の方向へ大きく動かしたのは信長の激烈な個性だった。「うつけ者」と評判をとった若き日から血族を倒しての尾張統一、「天下布武」を掲げての上洛戦。一豊にとっては、信長との強烈な出会いがその後の人生を方向付けることとなるが、旧来の権威を一切認めず比叡山を焼討ちする等、理解を超えた巨大な存在でもある。光秀、秀吉ら信長軍団を動かし、戦に明け暮れるその日々の中で、信長の孤独な心は妻・濃のみが理解するところであった。本能寺にて家臣・光秀に襲われ道半ばにして自害。
若き日、美濃の斉藤道三に仕え、その娘・濃と知り合う。道三から天下の器と見込まれて薫陶を受け、幕府再興を志し流浪の足利義昭に仕えた。信長の力を借りて義昭を上洛させ幕府を再興した光秀だったが、将軍職についた義昭は反信長同盟を形成、信長は義昭を追放。伝統や格式を重んじる光秀は、一豊に信長や秀吉とは違う武将のあり方を示すが、旧来の権威を破壊し隷従を強いる信長と相容れぬことも多く、遂に反旗を翻し本能寺にて主君・信長を打倒。しかし信長後継を目指す秀吉との戦いの中で、敗死する。
幼い時、岐阜城下にて千代と出会う。長じて光秀とも親交のあった細川藤孝の嫡子・忠興の妻となる。本能寺にて信長を倒した光秀は、細川に対し、味方に加勢するよう依頼。しかし藤孝・忠興ともにこれを拒否、玉を逆賊の娘として幽閉させる。この苦難の中でキリスト教に入信。後、関ヶ原の戦いを前に、大坂にて挙兵した石田三成は、家康につき従う武将の妻子に対し大坂城へ入るよう命令。この時ガラシャは人質となることを拒否、屋敷に火をつけ、死を選ぶ。自らの人生を自ら決せんとするその生き様が、千代ら東軍の妻たちに勇気を与えることとなる。
千代の幼なじみ。故郷の村が戦乱に焼かれ千代と生き別れた後、甲賀で忍びのものとして成長。一人の主に忠誠を誓うことのむなしさを感じてしまった六平太は、千代と再会後、ある時は一豊に敵方へ寝返らないか誘いをかけたり、また、千代と接触して敵方の情勢を示唆したり、天下の形勢を計るような生き方をする。僧侶や商人に変装して諸将の間を渡り歩く六平太は、戦国の敵・味方、武士や商人といった枠組みにとらわれない自由闊達とした生き方をする人物であるとも言える。千代を生涯にわたり支え続け、千代と共に土佐にも入国するが、千代・一豊の盾となって落命する。
若き日から同盟者として信長と共に戦う。本能寺に信長が倒れた後、関白となった秀吉の上洛要請を黙殺し臣従を拒否。小牧・長久手の戦いで秀吉軍に局地戦で勝利して講和を結び、秀吉の妹・旭を正室に迎え、秀吉の母・大政所を人質として得てようやく臣従。この間のやりとりを千代・一豊は目の当たりにすることとなる。秀吉亡き後は五大老筆頭として政務を統括するが、石田三成らと対立。一豊ら諸侯はどちらにつくか苦悩する。関ヶ原の戦い前夜、千代の機転により一豊は家康への忠誠をいち早く示し、諸侯もならって家康への気持ちを不動のものとした。これが戦後の山内家土佐一国拝領への足がかりとなった。
以前の発表において、浅野ゆう子さん演じます秀吉の妻について、役名を「おね」としておりましたが、司馬遼太郎さんの原作を尊重し、今後「寧々」とさせていただきます。
2006年放送予定の大河ドラマ「功名が辻」。主な出演者が以下の通り発表されました。
近江・琵琶湖畔に生まれる。幼い時、戦乱に父・母を失い、故郷を離れ美濃の縁戚に身を寄せる。一豊と出会い結婚。寧々やお市・旭ら戦国を生き抜く女性とかかわりながら、「よく寝、よく食べ、よく笑う」その明るい性格と機転で夫を支え、山内家の危機をも乗り越え、家来二・三人の下積み時代から遂に土佐二十四万石の藩主へと夫婦ともども駆け上る。一豊亡き後、大坂の陣を経て家康絶命の翌年、戦国時代を看取るように静かに他界する。
父・盛豊(もりとよ)は尾張岩倉・織田家の家老だったが、尾張統一をめざし血族と戦う信長により滅ぼされ、一豊は放浪の身となる。父の仇・信長との強烈な出会いから信長こそ主と心に決め仕官、秀吉に槍の腕を見込まれ、以後秀吉に従い幾多の戦に従軍。槍一筋、不器用ではあるが真っ直ぐな生き様を貫く。政治的な立ち回りは不得手だが、関ヶ原合戦前夜、千代の機転により家康の信任を得、合戦後土佐二十四万石を得る。
盛豊の代からの山内家家臣。一豊のいわば守役として幼い時から仕え、放浪時代にもつき従ってきた。一豊にはこうしろ、ああしろ、もっと器用に立ち回れと口うるさい家来ではあるが、それも心底一豊のことを思えばこそ。賤ヶ岳の合戦直前、伊勢亀山城攻めの際、主・一豊に手柄をとらせようと奮闘、壮絶な最期を遂げる。
五藤と同じく山内家重臣。父亡き後の一豊は五藤と自分の二人で育ててきたとの自負がある。一豊の生真面目さを愛し、主としての振る舞いを指南する。老齢ゆえに腕が鈍り戦場(いくさば)で一豊の力になれなくなったと感じた時、第一線を退くことを決意、以後は千代・一豊の相談相手となり山内家を支えて行く。
大河ドラマへの出演は平成元年「春日局」以来。一豊の母。夫・盛豊が信長に滅ぼされてからは、知己の屋敷の一隅に結んだ庵で閑居した。先代の妻として山内家を束ねるいわば象徴的な存在。父母を失った千代が美濃の縁戚を訪ねる道中、法秀尼が千代を一時預かり、戦に傷ついた千代の心を優しく癒し、その天性の朗らかさを宝のように思う。千代と一豊との結婚を誰よりも喜び、以後も千代を支え続け、山内家復活の陰の力となる。
大河ドラマへの出演は平成6年「炎立つ」以来。千代の養母。千代の生母の姉にあたり、子のない市之丞・きぬ夫婦は、千代を実の子のように愛しみ育てた。きぬとしては、千代が朗らかに育ってくれたことは嬉しいのだが、馬を乗り回すそのお転婆ぶりに、嫁の行き先があるだろうかと心配になることがある。千代が一豊に嫁いだ後も、その幸せをのみ祈り、千代が訪ねた際にはそのよき相談相手となる。
千代の養父。戦乱に父母を失った千代を逞しく育てようと乗馬を教えた。美濃四人衆の一人で信長の美濃攻略の際には徹底抗戦を誓い、千代ら家人を連れ稲葉山城(のちの岐阜城)に篭城、そこへ信長軍に属す一豊が攻め入ってくることとなる。千代と一豊との結婚を許し、「夫の一大事の時に使え」と金を鏡箱の底に忍ばせそっと千代に渡す。この金で千代は、一豊に名馬を購い、この馬が信長の目にとまって一豊は名を挙げることとなる。
信長家中において、その陽気さで人気をあげる一方、敵も多い。恋女房の寧々を愛する一方、無類の女好き。槍働きが苦手で、一豊の槍の腕を見込み、その生一本の性格を面白く思っているが、一豊にとっては謎多く、時に壁になる「上司」。天性の「人蕩し(ひとたらし)」の才で敵方を調略して頭角を現し、ついには関白・太閤へ。淀への寵愛、朝鮮出兵、秀頼への溺愛等、権力への妄信と執着は常人の想像を絶し、数々のドラマを産み出す。
大河ドラマ初出演。秀吉の正妻。千代ら秀吉家臣の妻から見るといわば「上司の妻」にあたり、そのご機嫌を損ねると夫の出世にも影響しかねないほど、秀吉への影響力は強い。秀吉亡き後は北の政所として、秀吉と共に幾多の戦を生き抜いて来た諸将から敬愛を集め、秀吉唯一の実子・秀頼の母たる淀と対峙する。千代との交流も続き、一豊亡き後千代は土佐から京都へと戻り、大坂の陣にて豊臣家が滅亡する戦国の行く末を寧々とともに見守ることとなる。
大河ドラマ初出演。お市の娘。幼い時、小谷城落城の際には父・長政を失い、次いでお市が嫁いだ勝家の北の庄城落城の際には母・お市も失った。そして、これら二つの城を攻め父母を自害へと追い込んだ秀吉の妾となる。秀吉亡き後、唯一の実子・秀頼の母として権力の絶頂にあり、諸将や、千代らその妻たちは生き残りの為、淀につくか北の政所につくか苦慮することとなる。後、大阪夏の陣では、家康に攻められ、秀頼とともに大阪城にて果てる。
大河ドラマ初出演。秀吉の妹。農民と結婚し平穏な生活を送っていたが、秀吉の命により夫とひき離され、ある武将との結婚を余儀なくされる。後、関白となった秀吉は家康に上洛を要請するが、家康はこれを黙殺し臣従を拒否。秀吉はまたしても旭を離縁させ家康の妻とすることで、家康の懐柔をはかろうとする。旭は酷薄なその運命を受け入れ家康の下へ輿入れして行く。
大河ドラマへは平成14年「利家とまつ」以来の出演。秀吉の姉の子=甥にあたる。幼い時、秀吉の命により敵方のある有力武将の元へ人質に出された経験がある。後、秀吉の右腕として頭角を現し、秀吉から関白の位を譲り受ける。一豊はその秀次の後見役となるが、秀吉は淀との間に秀頼ができると一転して秀次排斥を企む。追い詰められた秀次はついに謀反の疑いありとして秀吉から切腹を命じられ、無念の中高野山にて自害、その一族も女子供にいたるまで斬首された。
信長の美濃攻略の際、当初、美濃側の将としてその知略で信長を悩ませた。不破市之丞と面識があり、結婚前の千代を知って交誼を結ぶ。秀吉は半兵衛の才を見込み三顧の礼を尽くし臣として手厚く迎え、以後、秀吉こそ天下の器とその参謀として従軍。中国攻めの最中、三木城攻めの折、志半ばにして病に倒れ他界する。
前野将右衛門(まえのしょうえもん)…石倉三郎(いしくらさぶろう)
秀吉の家臣。蜂須賀小六とともに木曽川の水運等を牛耳る川並衆(かわなみしゅう)として活躍、秀吉との親交も旧くその臣となる。一豊のいわば「先輩」。秀吉軍には常に前野の姿があり、よく秀吉を補佐したが、秀吉が関白秀次の排斥を目論む中で、前野の息子が秀次に忠誠を誓う連判状に署名した事実が発覚。連座の罪を問われた前野は中村一氏の元へ預けられ、一豊らが申し開きを勧めるにもかかわらず、責任を感じ自害し果てる。
蜂須賀小六(はちすかころく)…高山善廣(たかやまよしひろ)〈プロレスラー〉
大河ドラマは平成14年「利家とまつ」以来の出演。秀吉の家臣。もともと尾張の土豪で、木曽川一帯を川並衆(かわなみしゅう)としてとり仕切る。同郷の秀吉と強い絆で結ばれ、前野と兄弟の契りを交わしている。腕っ節が強く正義に熱い好人物。信長の上洛戦、中国攻め、山崎の戦い等、数々の戦(いくさ)で秀吉の力となり、四国平定後、阿波一国の主となる。
大河ドラマ初出演。秀吉の血縁にあたり、一豊よりも若い世代の武将。賤ヶ岳の戦いで七本槍の筆頭にあげられる活躍を見せ、論功行賞により禄高は一豊を上回り、一豊は出世競争の中で若い世代に抜かれて行く焦燥を覚える。秀吉亡き後、家康と三成を二つの極として政治地図が展開する中で、反三成派の急先鋒となり、その間に入った一豊が苦慮することとなる。
大河ドラマへは昭和63年「武田信玄」以来。信長の妹。上洛を目指す信長の意をうけ、近江・小谷(おだに)城主浅井長政の元へ嫁ぐ。浅井は信長に攻め滅ぼされ、お市は茶々(のちの淀)ら三姉妹とともに城を降りる。本能寺の変の後、信長後継の体制をめぐって秀吉と柴田勝家が争う中、お市は勝家へ再嫁するが、勝家は秀吉に攻められ落城の最中に自刃、お市は、三姉妹を城外へ逃れさせ、自害を遂げる。戦国の女性の運命を生き抜いた佳人。
信長の妻。美濃の斉藤道三の娘。信長の孤独な心情を唯一人理解している。明智光秀といとこの関係にあたり、幼い時には、互いに後には添う者と思い合うほのかな交流があった。その光秀が信長に臣従しようと頭を垂れる姿を見てかすかに衝撃を受ける。本能寺の変で光秀軍に攻められ最期の時を覚悟した信長の前に、長刀を手に現れ、光秀軍と戦い妻としての誇りを全うする。
信長の重臣。「鬼の権六(ごんろく)」と恐れられる猛将。剛に生きる勝家は、戦においても知略を掲げる秀吉と対立を次第に深め、本能寺の変の後、信長の後継体制をめぐってその対立は決定的となる。信長の妹・お市の方を娶り信長恩顧の将たちの信任を得ようとする勝家に対し、秀吉は攻勢に転じ、勝家の牙城・北の庄城は陥落、勝家は自刃を遂げ、お市もその後を追うこととなる。
信長の重臣。信長が尾張統一を目指し織田一族間での戦いに明け暮れていた頃から、信長家中において政治・軍事両面において重きをなしていた。以後、本能寺の変の後の山崎の戦いに至るまで数々の戦に参戦し、信長後継の体制を決する清洲会議にも秀吉、勝家らと参加している。
信長がまだ幼い時から付き従う家老。戦場に生き場所を求めるというよりは、執政を主務とするタイプの武将。桶狭間の合戦時にも、大軍で押し寄せる今川軍に対するに篭城戦を主張する。
大河ドラマ初出演。勝家らと並び信長の古くからの重臣。家来を戦う道具のように働かせる信長の下にあり、唯一人マイペースなところのある武将で、信長の叱責を受けても「そんなこと言っても、みんな一生懸命やっている」といった発言をしたりする。石山本願寺攻めの主将となるが、その働きが悪く、信長から追放を命じられ没する。
秀吉に見出され側近の奉行として頭角を現す。秀吉の寵愛を得る淀と同郷の近江出身であり、諸将は三成を中心とする派と、秀吉と共に幾多の戦を生き抜いて来た旧来の諸将の派に割れる。秀吉の死後、豊臣家への義を貫かんと秀吉の後継は実子・秀頼の他になしとし、関白・秀次の後見人たる一豊らと相対する。三成の説く正義に理ありと感ずる所のある一豊は、関が原の合戦へ至るまで、天下を治めるのは家康か、三成か、大いに悩む。
お市の夫。上洛を目指す信長には、近江・小谷(おだに)城主長政との同盟が必要だった。いわば政略により嫁いで来た信長の妹・お市を、長政は優しく包み茶々ら三女をなす。父・久政の意に押される形で、長政は信長討伐を決意するが、お市の通報で信長は危地を脱出。長政はなおもお市を「浅井の女」として信じ続けるが、秀吉軍を主力とする信長の容赦ない攻めを受けついに小谷(おだに)落城。お市と娘たちを城外へ逃し、自刃する。
長政の父。越前の朝倉氏との旧交を重んじ、信長から持ち掛けられた同盟を長政が受けようとした際、強く異を唱える。嫁いで来たお市に対して信長の諜者ではと懐疑的で、信長討伐への動きをお市が信長に通じたことで、長政・お市を激しく責めたてる。小谷落城時に自害し果てる。
駿河を拠点とし、東海一の弓取りとうたわれた有力大名。桶狭間の戦いまでは、戦国の世を平定し天下人となる人間が現れるとすれば、その筆頭候補は義元だと目されていた。しかし、大軍を率いての上洛の途次、桶狭間の戦いにて信長にまさかの敗北を喫し、討死。諸侯は信長に瞠目することとなる。
大河ドラマ初出演。一豊の弟。一豊が、父・盛豊の仇・信長へ仕えることに対し批判的。だが、一豊が長浜城主となる際、山内家結束の時と参集、以後一豊の右腕となる。関ヶ原合戦後、一豊が土佐を与えられると、長宗我部恩顧の土豪たちが反抗するのに対し、いち早く土佐へ入り、一豊の入国の足がかりをつくった。
新右衛門の長男。新右衛門が第一線の戦(いくさ)働きから退いて後、後を継いで一豊の右腕となる。土佐入国へ至るまで数々の戦に従軍してよく山内家を盛り立て、重臣の立場を不動のものにする。
一豊の親友。一豊と同世代の武将で、同じく信長・秀吉に仕え出世を競う、サラリーマン社会になぞらえればいわば一豊の「同僚」。その誠実な人柄は衆目の一致するところで「仏の堀尾」とあだ名される一方、本能寺の変の後の山崎の戦いでは天王山を制するなど武勲も高く、豊臣政権の三中老の一人となる。一豊との友情は終生変わることがない。
大河ドラマ初出演。堀尾吉晴の妻。千代や中村一氏の妻・としと、夫の「上司の妻」にあたる寧々の元によく集まり、夫の出世に役立つ情報はないかと余念がない。浪費家で、生活に苦しくても着物などを購ってしまう癖があるが、夫の行く末を思う気持ちは千代と変わりない。
中村一氏(なかむらかずうじ)…田村 淳(たむらあつし)〈ロンドンブーツ1号2号〉
NHKドラマ初出演。一豊の「同僚」。信長・秀吉に仕え、怜悧な切れ者として知られるが、一豊や堀尾には熱い一面を見せたりもする。秀吉から「自分が考えていた通りのことを、指図する前にやっている」と評価され、小田原城攻めの後の論功行賞では、一豊 掛川五万石、堀尾 浜松十二万石に対し、中村は駿河十七万五千石をあて行われ、出世競争では一歩リード。豊臣政権を支える三中老の一人となる。
中村一氏の妻。夫の一氏に惚れて惚れて惚れ込んで、心底から信じきっている。千代やいとらとよく寧々の元に集まり話し込んで行く。好奇心旺盛で城下にたつ噂の出元は100%としだと言っても過言ではない。このドラマは千代・一豊夫婦、堀尾夫婦、中村夫婦、そして秀吉・寧々夫婦、4組の夫婦の物語でもある。
大河ドラマ初出演。甲賀出身の忍びの者。敵方の諜者として一豊に接近、そうとは知らない一豊は只ならぬ関係を結び軍略上の機密事項をもらしてしまう。一豊の裏表のない真っ直ぐな気性に惚れ込み、武士をやめて自分と逃げるよう誘ったりする。若さと生命力で一豊を翻弄し、その登場は千代と一豊の夫婦関係にも波乱を巻き起こす。
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[ 87] 一流の研究者の抜け駆け功名 | Lifehacking.jp
[引用サイト]  http://lifehacking.jp/2007/07/sucess-formula-of-a-top-scientist/

一流の研究者の先生と机を並べて一ヶ月半。毎日繰り返される議論にも慣れてきて、パソコンの操作や PowerPoint の作成をお手伝いしているうちに、なんだか緊張がほぐれてきて、この人がどれだけすごい研究者なのかを忘れつつありました。
その部分は自分でも気づいてはいたのですが、提示した資料からは言い過ぎではないのかと思って結論には含めなかったものでした。先生はちょっとの会話でそれを的確に見抜いて突いてきたのでした。そしていかにも不満そうに付け加えました。
この先生は戦後からまだそれほど経っていないころに渡米し、以来一つの学問分野をほとんど独力で作り上げたという人物でした。私もその分野の端くれではあ りますが、その分野において大事な仕事はすべて数十年前に先生がすでに先鞭を付けているというのですから、恐ろしい話です。
しかしその仕事も最初から好調だったわけではなく、最初の10年はまだ多くの人が手を付けていないそのニッチ分野において奮闘する日々だったそうです。そ してそのニッチにおいてやるべき仕事を次から次へと論文として発表してゆくのでした。どうしてそんなに多作なのかと質問してみると、ちょっとずれた、でも 深い答えが返ってきました。
「私は他の秀才の人よりも考える能力が弱かったです。でもしつこかったんですな。いつまでも一つのことを考えてばかりいると、頭のいい人がすぐに理解してしまったことでも、実はそれほど単純ではないのだということが、人より10倍も時間がかかってわかってきたりするのです」
本当に大事なニッチを考えに考えて探してゆく:誰も大事だと思わないような無用なニッチに自分を追い詰めていくのではなく、大事なニッチを探してゆく。人間のやることにはかならず穴があるので、必死で探せばかならずそれはある。
自分のもっているニッチを絶対に渡してはいけない:そのニッチを守れるかどうかが、自分の competitive edge。ニッチを埋め尽くす勢いで絶対に手を揺るめてはいけない。
難行苦行をしない:ふつうにしつこくやっていれば、時には時代を先駆けるアイディアの一つや二つがわいてくる。それを「もっと準備してから」だとか、「もっとちゃんとした形で発表したい」などと努力しすぎてタイミングを逸してしまうのではなく、すぐに形にして公表すること。
周囲の賛同を待たずに先に手を付けてしまう:「こんなことをしても人は認めてくれるか?」などと考えているうちに、他の人が追いついてしまう。たとえ問題がありそうでも、周囲からから非難されそうでも、とりあえず手を出してしまう。
抜け駆けを目指す:Imitation is the most sincere form of flattery, 「模倣は最上の賛辞」というように、本当に素晴らしいアイディアなら他人が何もいわずに模倣してくれる。模倣する側になってはいけない。最初は馬鹿にされ ても最初であることを目指す。
この四番目と五番目は、精神的にはかなりきついものだと想像できますが、現実の「競争」としては一番楽で重要なスタンスなのだというこ とです。というのは、流行していたり、重要だと賛同が得られているマーケットは当然競争が激しいですので、何かをやろうとしてもすでに他人がやっているこ とが多くて、思い通りにいかないからです。それよりは勇気を持って、舞台が移ろうとするその先に自分の釣り糸をたれ下げておくことで、結果的には労せずし て功名を独り占めすべきだという話です。
ビジネスの世界では常識でもある「ニッチを攻めろ」という考え方がこんな大学者の中にも息づいているというのは、目からうろこがおちる思いでした。今までニッチというのは重箱の隅の方に自分を追い詰めてゆく考え方かと思っていましたが、先生の考え方は逆で、誰もが見落としている大事なものが絶対にある、というものでした。先生の考える能力が弱いというのは嘘だと思いますが、一つのことをしつこく考えているうちに、そうした自分のニッチに行き着けるのなら、やってみる価値はありそうです。
しかし周囲の賛同を得ないで何かことを起こすと、日本であれアメリカであれ、抵抗勢力はでてくるものだと先生は注意します。それに耳を貸さないのも練習次第なのだそうです。
はいはい、というわけで次の論文には物議をかもしそうな一行が加わることになりました。やるしかないなら、やってみましょう。
「他人がこき下ろしたからといって、自分がその通りにおちるわけではないですから!」” - 一流の研究者の抜け駆け功名 | Lifehacking.jp
? 誰もが見落としている大事なものが絶対にある 一流の研究者の抜け駆け功名 | Lifehacking.jp
17 巻全て復刊して欲しいところ (今回入手できた文庫本は,全 4 巻のダイジェスト版). 関連リンク 栄光なき天才たち 最上の日々 7月16日(月) ▼ 一流の研究者の抜け駆け功名(lifehacking.jp) この時代は10年間評価されなくとも試行錯誤をすることが許されたのだなと。いまならアカデミアから退出させられる事もあるかも。
■Lifehacking.jp ・一流研究者の集中力 ・超シングルタスクのすすめ ・一流の研究者の歩いている時間。あるいは「iPod を捨てよ、町へ出よう」 ・一流の研究者の抜け駆け功名 ・10分で人生を変える方法 おまけ。こちらもとっても役立ちました。 48:12分仕事術の応用例:嫌にならずに8時間連続で働く方法


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